モーム『人間の絆(中)』/ニーチェ『道徳の系譜』

実家二日目。家にてだらだら読書&韓国ドラマ鑑賞中。父&母は比較的さめた、しかし心の中では青い炎を灯しながら韓国ドラマを今日も観るのです。どうやら比較的ゆっくりの、しかし奇想天外な話が面白いらしいよ。

人間の絆〈中〉 (岩波文庫)

人間の絆〈中〉 (岩波文庫)

道徳の系譜 (岩波文庫)

道徳の系譜 (岩波文庫)

んで本日の2冊。
モームは2/3にあたる中巻読了。足に障害を抱え自分の殻に閉じこもっているフィリップ。彼はフランスに絵画の技術を学ぶために留学したが自分の絵の才能に見切りをつけ医者へと転身を図るべくイギリスへ戻り、医者の学校へ通いだす。教養がなく卑しくやせ細ったミルドレットに激しく恋をし、彼女が自分のことを好いていないことを知りつつ彼女のためにお金をつぎ込んだりと、彼の猜疑心や見栄によって周りの人に対して自分でも思いをかけないような行動を次々と繰り返す。
感情というものは理性とは異なり、自分でも思いもよらぬものが多く自分内からやってくるというよりほかの<世界>から与えられたものである、なんてことを思ったり。物語の鍵となるのは、フランスで出会った哲学者的存在であるクロンショーである。彼の生に対する問いに答えられないフィリップ。彼の放った言葉が恐らく下巻に関わってくる。そんな気がする。


で、ニーチェ。この本では「善・悪」「よい・わるい」の本来の意義を系譜的に探っていくことで道徳に関する価値転倒を企てている。一連の著作の準備的な作業であるので現状の分析に留まっていて、次の著作で本題が待っている模様(読んでないからわからんがね。)
「禁欲主義的理想は何を意味するのか」の最後において「人間は欲しないよりは、まだしも無を欲する」と喝破したように人間の「無への意志」を提示しています。それは「何のために苦しむのか」という問いに対し、キリスト教や禁欲主義的僧職者が提出した”ましな”解決法の一つであり、まだ本質的解決がなされていないと主張されており、彼の新しい思想の存在が示唆されている。