ドッグヴィル

なぜか実家に。今まで観た映画の中でもっとも悪趣味な作品のひとつ

監督は「ダンサー イン ザ ダーク」のラース・フォン・トリアー。舞台にチョークで線を引いたセットでひとつの貧しく山奥に存在する村「ドッグヴィル」を表現し、その住民の中にギャングから逃げてきたグレースが逃げ込んでくるところから話が始まる。
閉鎖的な雰囲気ゆえに最初は部外者を受け入れなかったが献身的な肉体労働の末に住民に認められ、暮らしにも溶け込んできたように思われた。しかしその矢先、彼女を警察等が探しに来ることで再び住民たちは彼女に猜疑心を募らす。表面的には「あなたに何も悪い感情は抱いていないのよ」と接しながら裏で彼女を憎み利用しようとする。
各住人のエゴがあらゆる場面で噴出。街全体があるときを境に不安を急に募らせ部外者に疑いをかけるのは、テロ後のアメリカそのもの。
ラストのシーンでの会話において明らかになるように、自分のエゴに基づいて行動する卑しい村民が「犬」そのものであることが示される。彼らの仕打ちに対して寛大でも、自分を決して受け入れることのないグレース。彼らが「犬」であるのは犬なりの理由があり環境がそうしていると主張する彼女。最後に彼女は悩んだ末に自分の行動に対し責任をとらせる決断を出す。

この映画が観るものを感じ悪くさせるのは、多分ルサンチマンに満ち溢れた村人からあふれ出すエゴの臭いだと思う。あと、グレースがどんな仕打ちを受けてもなお村民をメタ的な視点から見下すのも微妙。何かもう全部この監督ぽいねw