鈴木謙介『カーニヴァル化する日常』

読了。昨日友人が持っていて面白そうだったんで即購入。そういえば、その友人は筆者と知り合い(?)だそうで、焼肉二人で食べにいったらしいね。何なんだあいつ。

カーニヴァル化する社会 (講談社現代新書)

カーニヴァル化する社会 (講談社現代新書)

おもろい。「お祭り」化する日常やニートや就職などの問題などを、ギデンズの言う「後期近代」に特徴的な「再帰性」を中心に分析。ただ北田さんの議論を批判した反省と再帰性の違いについて今まで見落としていたようなので、もう一回ギデンズ読んでみよう。
で、就活に関する面白い文章を引用

なぜ自己分析は苦痛なのか、おそらくもっとも苦痛を伴うのは、学生の側に「やりたいこと」など何もない、と感じられている場合だろう。何もないところから、「私は何故働くのか」という、勤務への動機付けをどうにかして発見し、エントリーシートに記入しなければならないとすれば、その活動は大変な虚無感を伴う作業になる。[・・・]
就職活動が長期化すると、就職そのものから離脱して行く人が増えたり、あるいはその過程で鬱病になってしまったりといった例が報告されているが、その背景にあるのは、どうにかして見つけだしたつもりになっていた「これがやりたいんだ!」というモチベーションでは、結局長続きしないという問題なのだろう。[p47-48]

特に就活とかしていると、著者のいう「ハイテンションな自己啓発」と「宿命論」の間を行き来する躁鬱状態によく陥ります。
多くの学生のパターンとしては「ハイテンションな自己啓発」による「やりたいこと」の構築→面接等で木っ端微塵に、就職活動長期化→(1)「やりたいこと」探しで空回り:就職活動リタイア、(2)「宿命論」の受け入れ:とりあえず内定出たところに行く・・・。みたいなパターンが多いと思います。まだ就職活動を続けている身としては、上述のようなことは前から感じていたことで、そういった現象の背景を再帰性の進行による自己イメージの分断(統一的な自我像ではなく、ただの客我の集合)によって分析しているのは非常に納得がいきます。