仕事と根本悪

悪について (岩波新書)

タイトル:悪について
作者: 中島義道
メーカー/出版社: 岩波書店
定価:¥ 735
メディア:新書

中嶋義道による裏側からのカント倫理学入門だそうです。この人の本は結構面白いのと、前誰だかの本を読んで根本悪について書いてあったのを読んで興味を持ったのでこれを。
中嶋≒カントが共通して持っている認識とは、善人または聖者と言われる者に潜む悪の匂いへの嫌悪である。殺人事件に対して心の退廃を説くニュースキャスターやコメンテーターの鈍さ、善良的市民の反応も全て胡散臭さを感じ取るわけだ。彼らは適法的行為の枠内であくまでも「道徳的」振る舞いをするが、彼(女)らの行為は全く道徳的ではないのだ。何故なら彼(女)らの行為は道徳的行為への尊敬からではなく自分をよく見せたい等の自己愛に基づいての行われるからである。
 どのような行為が道徳的かというのは、この本によると定言命法(XであるからXに従え)に従う行為であるか否かである。「約束は守るべきだから、約束を守るべきだ」というのは定言命法に従っているが、「約束破って信頼を失いたくないから、約束は守られるべきだ」と考え行為をするのは自己愛に基づくものである。そしてカントが鋭い視線でえぐりだしたのは後者の自己愛に基づく行為をする者に潜む「悪」である。
 説明が面倒くさいからはしょるけど、道徳的に何が正しいかしって行為をするはずの人間が、非適法行為に傾いたり、自己保身や自己愛の引力を逃れられないところに悪が潜むのである。
 確かに振り返ってみて私たちの行為は自己愛や自己保身に基づいたばかりだ。誰かに同情したりする場合は私がそれを見ていられないからという自己愛に基づいていたりする。就職活動の時によく、「社会に価値を提供したい」とか「より多くの人に幸せになってほしい」とか耳にするわけだけど、それもあくまでも私がいいと思うからとか、それによって私もやりがいを幸せになるから、といったいわゆる自己愛に基づく行為であると言える。それに「自己成長のため」「自分の能力を試したいため」というのも分かりやすいが自己愛に基づくものだ。
 個人的な意見だけれども仕事というのは人に対して何かを施す行為のことだと思う。何故なら人は自分自身に対して働いてその対価を得ることが出来ないからだ。仕事をする上で他者の存在は必要不可欠である。さて、問題なのは仕事をするうえでの動機であり、上で挙げたような「自分のため」または「社会のため」というものも全て自己愛に基づいているということだ。どんな仕事の動機も自分にとって利益になったり、自己愛が充足されたりするために正当化されているのではないか。当たり前といってはそうなんだけれども「世のため人のため」働くという動機を持って仕事を行うのは「自己成長のため」という動機とさほど代わりがない。
 では人間は働いたり新しいものを作らずまた再び自然に帰ればいいのか?それも不可能だ。何故なら自然に帰るというのも人間の自己愛から発生するものだから。そこで、資本主義の中で生きる人とそれを批判する人は大差ないことがわかる。ではどうするのか?結局人間は文化と自然の中でもがき苦しむしかない。その葛藤の中であれこれと考えること、それが道徳的であるということだ。
 何かまとまっていないな・・・。兎に角このことについては、もう一度しっかり考えよう。